司馬遼太郎という人 

日本では長い間、「人間のさまざまな典型については社会の実例よりも、漢籍

書かれた古代中国社会に登場する典型群を借用するのがつねであった。」 

 これと関連あることだが、司馬さんは、「日本人が中国の史書から学んできた

『後世意識』も同時に失ったのではないか」といったことがある。「後世意識」とは

「いま行っていることは、のちの時代にどう評価されるかを意識して出処進退をきめる

行動規範、もしくは行動美学」といっていいだろう。・・・すべての事情が公になり、

あまねく知られても、自らの行為に恥じるところがないか、やましくはないか、潔い

かを意識することであり、中国の史書には伝統的にこういう人物が好んで描かれている。

 司馬さんの発言は、まずは後世どころか、すぐに底の割れる謀略を重ね続けた、昭和に

なってからの帝国陸軍の高のくくり方、臆面のなさに対してであったであろう。しかし

これは現代にいたるまで、自分の徳になることしか考えず、バレなければいい、都合の

悪いことはなんとか隠蔽しようといった政治家、官僚、企業家から庶民にいたるまでの

精神の荒廃に結びついている。司馬さんはこれに対し最期まで警告を発し続けていた。


司馬遼太郎という人 和田 宏 文春新書 引用司馬遼太郎という人 (文春新書) 


 中国の歴史や史書のことは、ほとんど知らないけれど知りたいと思った。

精神の荒廃・・・

イメージの悪い言葉ですが現実だよなぁ。

 潔く、自らの行為に恥じず、生きたいものです。