森田療法

 かつてフロイトは、神経症者は論理感をもち得ぬ偏向した人間であると決めつけた。

彼は、”ドストイェフスキーは、人間の苦悩と葛藤を描き出して真実に迫るすばらしい

小説をかいたが、彼がもし神経症者あるいはてんかん者でなければ、論理的な思考の上

にたち、聖人になっていたであろう”という意味のことを語った。・・・・

・・・・しかし、筆者はこのフロイトの考えに反対である。・・・・・

筆者がドストイェフスキーに畏敬を抱くのは、彼が神経症的な不安・葛藤や、てんかん

としての発作の前兆や発作を引き受けながら、なおかつ厖大な作品を創ったことである。

・・・人間にはこのような汚い側面がある、このように残酷な側面がある、などというよう

に、次々と人間の弱点を抉りながら、なおかつ否定できない崇高ななにものかにぶつかって

いるのであり、そこにこそ彼は神をみようとしている。聖者が天啓を得て神をみるよりも、

もっと真実の神をみているのである。これはひとえに、彼が自分の神経症体験を自己克服し

つつ、それを創造性へと転化させているからである。

森田療法 (講談社現代新書) 森田療法  岩井 寛  講談社現代新書 引用
 考え過ぎてしまうときは、自分のいまの行動や言葉は偽善で本当は

いい人ぶっているだけなのではないか、いいひとにみられたくてい本当は

自分の利益のためにしていて心の奥ではとても嫌なやつなのではないかと

悩んで深みにはまることがあります。そんな悩み過ぎてしまうときに

読み返したくなる一冊。