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- 作者: A.トフラー,H.トフラー,山岡洋一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/06/08
- メディア: 単行本
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富の将来は明るい。今の世界には確かに深刻な混乱があり逆流があるが、将来、世界で生産される富が減っていくのではなく、増えていく可能性が高い。しかし、富が増えるのは良いことだと誰もがみているわけではない。
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問題は富を誰がもち、誰がもっていないのかであり、どのような目的に使われるかである。メキシコの詩人、ガブリエル・サイドはこう述べている。「富とは何よりも可能性が集積したものである」
もちろん富のうちある種のものについては、ほぼ誰でも「善」だと考えている。例えば健康。たとえば愛する健康な家族がいること。たとえば尊敬する人たちに敬意をもたれていること。これらも豊かさをもたらす富の一種であることは否定できない。経済専門家が富を計算する際にこれらを考慮するのはむずかしいのだ。
だが、富という言葉が普通に使われるとき、ごくごく狭く、金融資産だけを意味するのが通常であり、しかも、度を越えているという非難の意味がこめられていることが多い。人それぞれが必要だと主観的に判断する量を超えてもっている部分が富だとする人もいる。どれだけの量があっても十分だとは思わないひともいる。だが貧乏人にとって、主観的な判断が入り込む余地はあまりない。こどもが飢えているとき、母親にとっては毎日のわずかばかりの米が手に入ればとんでもなく豊かだと思えるだろう。このように富という言葉がもつ意味はひとさまざまだろうがすくなくともこの本書でこの言葉を使うとき、二代目のフェラーリを意味しているとは限らない。
また、富とは金をいいかえた言葉でもない。一般的にはそう誤解されていることがあるが、実際には金は富を象徴するもののひとつでしかない。富で手に入るもののなかには、金で手に入らないものもある。
・・・・富の源泉は、欲求である。
失われうるものを富とよんではならない・・。ダビンチの手記を思いだした。