ニーチェ
自己防衛は、できるだけたまにしか反応しないこと、自分の「自由」がきかずに自分のイニシアティヴをいわば取り外されて、単なる反応薬になり下がる憂き目に会いそうな状況や前提からは、身を遠ざけてしまうことである。
書物との附きあい方を、私は譬え話として取り上げてみよう。
学者は要するに本をただ「あちこちひっくり返して調べる」だけで―普通程度の文献学者で日におよそ二百冊は扱う―しまいには、自ら考えるという能力をすっかりなくしてしまう存在である。
本をひっくり返していないときに、彼は何も考えていない。
学者の場合は考えるといっても、何かの刺戟(―本で読んだ思想)に答えているだけである。
―結局の処は、何かにただ反応しているだけのことだ。・・・自分では何も考えないのである。
・・・私はこの目で見て知っている。天分もあり、豊かで自由な素質もある人物が、三十歳代ですでに「読書で台無し」にさせられ、火花―つまり「思想」を発するためには誰かに擦って貰わなければならないマッチになり下がってしまった例をである。
引用
- 作者: ニーチェ,西尾幹二
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マッチにはなりたくない。自分への戒め。学者のようには読んでないから大丈夫か。
ニーチェの晩年は精神錯乱に陥り、ワイマールで死去。