富の未来 上巻

富の未来 上巻

引用

 富の将来は明るい。今の世界には確かに深刻な混乱があり逆流があるが、将来、世界で生産される富が減っていくのではなく、増えていく可能性が高い。しかし、富が増えるのは良いことだと誰もがみているわけではない。


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 問題は富を誰がもち、誰がもっていないのかであり、どのような目的に使われるかである。メキシコの詩人、ガブリエル・サイドはこう述べている。「富とは何よりも可能性が集積したものである」
 もちろん富のうちある種のものについては、ほぼ誰でも「善」だと考えている。例えば健康。たとえば愛する健康な家族がいること。たとえば尊敬する人たちに敬意をもたれていること。これらも豊かさをもたらす富の一種であることは否定できない。経済専門家が富を計算する際にこれらを考慮するのはむずかしいのだ。
 だが、富という言葉が普通に使われるとき、ごくごく狭く、金融資産だけを意味するのが通常であり、しかも、度を越えているという非難の意味がこめられていることが多い。人それぞれが必要だと主観的に判断する量を超えてもっている部分が富だとする人もいる。どれだけの量があっても十分だとは思わないひともいる。だが貧乏人にとって、主観的な判断が入り込む余地はあまりない。こどもが飢えているとき、母親にとっては毎日のわずかばかりの米が手に入ればとんでもなく豊かだと思えるだろう。このように富という言葉がもつ意味はひとさまざまだろうがすくなくともこの本書でこの言葉を使うとき、二代目のフェラーリを意味しているとは限らない。 
 

 また、富とは金をいいかえた言葉でもない。一般的にはそう誤解されていることがあるが、実際には金は富を象徴するもののひとつでしかない。富で手に入るもののなかには、金で手に入らないものもある。
 ・・・・富の源泉は、欲求である。


失われうるものを富とよんではならない・・。ダビンチの手記を思いだした。

10代後半から、20代前半までは、それはそれはたくさん友達、知り合いがいました。多ければ多いほどいいんじゃないかとさえ思っていました。また肩書きのあるひとの名刺を集めるのが好きでした。
調子のいいときはひとは寄ってくる群れてくる。このひとといれば楽しいと思って寄ってくる。
調子が悪くなると去っていく、こういう経験をしてなんかむなしくなりました。
鬱になってそのことを話のねたにされたこともありました。電話をかえました。そういうときに野次馬的ではなく好意で心配してくれたひとにだけ連絡をしました。世の中そんなもんです。数人の友達とはたまーに会います。そんな感じでなんとか楽しく暮らしています。

サルヴァドール・ダリ

ダリ NBS-J (タッシェン・ニュー・ベーシックアート・シリーズ)

ダリ NBS-J (タッシェン・ニュー・ベーシックアート・シリーズ)

引用

人はいかにして天才になるか

「毎朝目覚めの時、私は至上の喜びを知る。すなわちサルヴァドール・ダリである喜びを」。これは《柔らかい時計》、《燃えるキリン》等を描いた画家、ダリの言葉である。富と名声を求めてやまないカタロニア人ダリは、多大な作品を残し、また、おおいなる雄弁家でもあった。ダリの一番のお気に入りのテーマは、「人はいかにして天才になるか」というもので、その結論は、「サルヴァドールよ、君は真実を知っている。君が天才を演じるなら君は天才になるのだ」というものであった。

SALVADOR DALI